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Art

欲望は、海の底にあった。

葛飾北斎「蛸と海女」と、快楽を肯定することの歴史

1814年に描かれた一枚の絵が、今も世界中で語られています。

葛飾北斎の春画「蛸と海女」二匹の蛸に絡まれた海女が、恐怖ではなく恍惚の表情を浮かべている。その口元には言葉が書き込まれている。快楽を認め、求める言葉が。


現代のプラットフォームでは規制対象になることもあるこの絵は、大英博物館の所蔵品です。わいせつと芸術、タブーと文化遺産の境界線が、200年後の今もこの絵の周りをうろついているのです。


快楽を描くことへの恐れと、快楽を語ることへの渇望は、いつの時代も並走しているようです。


江戸が知っていたこと

春画は、江戸時代において珍しいものではありませんでした。

武士も庶民も手にし、縁起物として、あるいは夫婦の契りの証として、旅の守り身として流通していたそうです。

北斎、歌麿、広重など、一流の絵師たちが手がけた性と快楽は、生活の文脈にごく自然に織り込まれています。

それが「低俗」とみなされるようになったのは明治以降、西洋的な性道徳が輸入されてからのことだそうです。


江戸が持っていた感覚は、快楽を恥とせず、表現し、共有する文化。これは、近代化の過程で塗り替えられていったのです。失われたのは絵だけではなく、ひとつの態度だったかもしれません。


海女が選ばれた理由

北斎が欲望の主体として選んだのが「海女」でした。

海女は、陸の規範の外に生きる女性たち。社会的な「恥」の基準が及ばない場所で、自分の体を頼りに働く。海の中では、身分も、体裁も、関係ない。

北斎の海女は、委ねながらも自分の感覚の中にいて、受け身の客体ではなく、快楽を持ち、言葉にする存在として描かれています。それは、当時の社会規範の中では、ひとつの想像力の跳躍だったのではないでしょうか。


欲望を持つ女性を描くことは、その時代、すでに挑発だったのです。


今に残るもの

快楽について話すことが、今もまだむずかしい社会があります。

自分が何を心地よいと感じるか。それを誰かに伝えること。あるいはただ、知っていること。そういうことが、当たり前ではない場所は、まだたくさんあります。


北斎の絵が200年後も語られ続けるのは、そこに何か本質的なものが描かれているからでしょうか。欲望は恥ではない、という静かな主張。



参考:Timothy Clark et al., Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art, British Museum Press, 2013

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